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TEAM EARTHの活動内容と「福島県の車椅子バスケットボールの歴史」

TEAM EARTH [Suffering&Growth] 2年目(2002年)
 1年目のアースは、走って走って走りぬいた一年であった。ベースとなる体力、持久力をつけるため、体が変化をしていくなかで熱発をしたり、私生活において床ずれを作って入院するなど、全員揃っての練習がなかなかできませんでした。
 しかし、このことがきっかけで、メンバーの1人が休むことで、チームの練習ができなくなることを自覚した選手は、生活改善に努力し始めました。1日のサイクル・食生活の見直し、タバコ・飲酒をやめた選手が出てくるなど24時間をバスケットボールのために費やしはじめ、自分たちの定めた目標に向け、個人が少しずつ動きだしたのです。
 基礎体力と走力を見につけた2年目のアースのメンバーは、ディフェンスに力を入れた。ゾーンディフェンスをするにも個人のスキルなくしてはできません。まず、1対1を徹底的に練習した。試合、練習試合でも抜かれようが何しようが、チェアスキルとマンツーマンディフェンスに明け暮れました。当時のキャプテン佐藤を中心に、○分間6種目のチェアスキルに耐え抜きました。
 相変わらず、チームは1勝も挙げることはできませんでした。選手の苛立ち、立ちはだかる不安。「型にはまりすぎ」などなどたくさんの意見をちょうだいしました。しかし、裏を返せば注目を集めているチームであったことには間違いがありませんでした。
 しかし、負ける悔しさを知ることが強さを求める原動力であることをスタッフは計算にいれていました。「周りから何を言われようといまはこれでいい・・」と。
 さて、2年目のアースは及川が移籍してくるという大きな動きがありました。いままでは、指導者としてアースに詳細な指導を行ってきた及川が選手として入るとなると、チーム内から「なんでうちなの?(王者といわれるチームから弱小チームへの移籍)」と疑問の声も上がったのも事実でありました。 しかし、及川の思いは、アースと関わってきて、アースのメンバーのひたむきな姿と素直な性格、バスケットボールをするうえでの環境が恵まれているなど様々な観点から移籍を決意したとみんなに説明しました。でも、最もたる理由はアースの仲間と一緒にバスケットボールがしたくなったからだ。と及川は言いました。ネームバリューがあるだけに及川の移籍に関しては良くも悪くもさまざまな憶測・噂が飛びかいました。そんななか、及川はチームアースの一員となりました。金の続く限り月2度から3度アースの練習に参加した。アースのメンバーも納得し、及川をチームメイトとして喜んで迎え入れました。
 この年は6月に国体予選が福島で開催され、宮城MAXを中心とする仙台市とチームアースを中心とする福島県が2回戦で対戦しました。このときの試合でアースのメンバーは自分たちが成長したことを実感しました。
 また、7月、チームアースはデムスカップに出場しました。チームアースとしては初めてのデムス出場であったのですが、この大会で、アースは1回戦で負けたものの敢闘賞をいただくことができました。この敢闘賞はアースにとって大きな励みとなり自信へとつながりました。それは、前のチームではそういった賞はいただいたことはなく、負けてもそれでオワリで誰からも評価されることはなかったからでした。これで、自分たちがやっていることは間違いがないと確信しました。
 また、2年目のアースは、ディフェンスを中心に練習をしてきたことから、今度は点を取るというオフェンスの課題を得ることができました。
 2002年暮。あっ!と言う間に1年が過ぎようとしていました。今年は社会福祉医療事業団の助成事業を受け、多くの子供達と車椅子バスケットボールをとおして交流を深めることができ、障害者のバスケットボールを普及するために、知的障害者を含めたさまざまな形で講習会を開いたことで、選手もいい経験をしたと言ってくれました。そのなかで、アースの活動やスタンスに興味を持ち、チームに関わってサポートしてくれる人が増えてきました。反面、厳しい練習に選手がひとり、ふたりと去っていったのも事実で、そうした選手は、各地域のクラブで活躍しています。アースとしては選手の発掘も急務とされました。
 そんななか、守屋と出会いました。20歳で離断の守屋に誰もが期待し、本人もやる気充分で練習に参加していました。バスケ車を注文し、青田君が教育係りとなり普段の練習をはじめ相談にのるなどよく面倒を見てくれていました。しかし、守屋は癌細胞が脳に転移し、新しい車椅子に乗ることもアースのユニフォームに袖を通すこともなくこの世を去ってしまいました。青田君の「健二、最後までよくがんばったな」の一言にチームのメンバー全員が胸が詰まり言葉が出ませんでした・・・。
 さて、1年間チームメイトとして頑張った及川が新チームを結成することになったため移籍を希望した。それは前々から話には出ていたため特に問題なく手続きを進めておりました。
 また、時を同じくして佐藤も修行の旅へ旅立つことを決意していました。佐藤は誰に言われたわけでなく、アースの事情も考えつつ悩みぬいて2年間NOEXCUSEへの移籍を希望したのです。「自分を高めたい」、「いまがやるとき」と決断した言います。
 しかし、及川が結成するというNOEXCUSEのメンバーを11月には噂になり知っていたため、佐藤の移籍には表向きには県外で経験を積むことには賛成であり認めるものの、正直、内心は躊躇し心配でした。アースのチーム事情もあるが、それよりも高い可能性を秘めた選手をこのまま荒波の大海に出すべきか・・・。佐藤に相談を受けたその夜、及川と話をしました。チーム責任者としてたったひとつの確認をとりたかったからです。「晋平、おまえのすべてをかけて将来のある選手たちを守ることができる?」と。そして、佐藤にも「おまえがこれから行くチームは想像するよりも風当たりが強いだろうと思う。そのなかでやっていけるか?」と。「覚悟がないとやっていけないチームへおまえは行くのだということを自覚しなければならない」と。後日、及川から「俺のすべてをかけて選手を守ることを約束する」と言ってくれました。佐藤もまた、覚悟を決め挑戦をするために旅立って行きました。
 アースで成長が期待されている若手の野口、宮崎、青田は、佐藤なきあとアースを支え、いつしか佐藤が戻ってきたときには大きく成長していると約束し。
 12月の最終合宿。会津の地で、アースのキャプテンは佐藤から宮崎へ託されました。このとき、来年宮崎がブレイクする予感が誰もがあったからこそ宮崎にキャプテンをしてほしいと思い、アースの未来を宮崎に託しました。
 チームとして、選手として、人として、それぞれの思いを胸にいろんな経験をし、いろんな意味で成長した一年でした。
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